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EMの徒然なる話

この記事はEngineering Manager vol.2 Advent Calendar 2019の25日目の記事です。

ここ2年ほどエンジニアリング組織のマネジメントというものに携わってきて、何か書けることがありそうだな、と思いつつ、良いテーマがなかなかまとまらなかったので徒然なるままにポエムを書いてみます。

EMの成果

EMは成果の見えづらい仕事です。

そもそも成果とはなんなのか?から各社定義が異なるとは思いますが、開発チームが計画通りリリースできること、とか、開発チームのリリースした施策で売り上げがアップしたとか、チームのコンディションが良い(サーベイツールなどを使った計測)とか、色々あるかと思います。

上記のようにチームがなんらかの基準を達成したとして、その達成にEMとして貢献できたと言えるのか?みなさんはどのように検証されてるでしょうか?
EMがいたから達成できた、と言えればよいでしょうか?いやいや、EMがいないと達成できないのはまずいだろ、という声もありそうです。

自己組織化チームはこれに対する一つの考え方かもしれません。
チームが自分たちで目標を設定し、自分たちで仕事をコントロールし、自分たちで成果を出せるような環境を作れればチームは自走していけます。
しかしながらこのときEMはチームの外で色々整えるわけですが、その性質上チームからは認知されにくい状態です。チームにどう貢献するかを説明して信頼関係を築いているEMもいると思いますが、私の経験ではなかなか苦労するところかなと感じています。

チームの中で実際に自分も手を動かしながらチームをリードしていくというスタイルの人もいると思います。この場合はチームからは価値が見えやすいですね。いちいち説明しなくても常に行動を共にしていればどう貢献しているか自然に伝わる部分も大きそうです。
一方、自分がボトルネックになるリスクも抱えています。MTGをたくさん入れられてしまい手を動かせなくなりチームのスループットを悪化させてしまうかもしれません。

私はいずれのスタイルもどちらが良い悪いという話ではないかなと考えています。

考える軸としては、自分はどのレイヤから評価されるべきなのか?を整理するとどういうスタイルで関わるのか選択しやすいかなと思います。

EMも経験を積んでいくとステークホルダーが多くなり、より大きな範囲での責任を持っていくことになるでしょう。 その時、自分の仕事を評価してくれるのは誰なのか?という観点です。

上司がEMなら、自分の責任範囲はその人がみている組織の一部分です。
上司がPdMや事業部長なら、責任範囲はその事業に関わるエンジニア組織全体かもしれません。
上司が経営陣なら、(EMというかVPoEと呼ばれる状態かもしれませんが)会社全体のエンジニア組織すべてに責任を持つことが期待されるでしょう。

責任範囲が広がればチームそれぞれに入り込んで仕事をすることは難しくなります。組織を抽象的に俯瞰し、個々のチームの成果の総和が事業全体としての期待される成果となっているかを気にする必要があります。

成果をすべての人に理解してもらうのは継続的な対話が必要でコストの割にリターンが少ないと思うかもしれませんが、自分が今どの立ち位置で仕事をしているのかを認知することができれば成果はおのずとついてくるように思います。

もちろんメンバーを幸せにするということが前提の話です。

EMのスタンス - ウェットであるべきか?ドライであるべきか?

EMは人を相手にする仕事です。人は感情の生き物ですから当然ウェットなコミュニケーションが必要です。

一方、会社という組織では常に金の話がついてまわります。時にはドライな決断をしなければいけないケースもあります。そうしなければ事業が立ち行かなくなり、より大きな損失に繋がることもあるからです。EM経験者はそんなときに自分の中の本音と建前のギャップに苦しんだ人もいるのではないでしょうか?

これについては普段から観点の異なる人たちと対話を重ねて双方の理解を深めるインタプリタ業をやることで一定負荷を減らせる場合もありますが、状況が急変してしまうケースなどはどうしても誰かにサプライズを伝えなければいけなくなる場合もあります。そうなってしまうとあとはハレーションの収拾に追われることになり大変な思いをすることになります。

インタプリタ業は実際やるのは結構大変で、それぞれのステークホルダーとの信頼関係がしっかり作れていないと正しい情報を伝えることができず、認識齟齬が起きたり、二枚舌外交のような状態になり、逆にハレーションのリスクが高まります。

よく、自分より強いの立場の人とのコミュニケーションの際に心理的安全がないといった話を聞きますが、EMのような情報が集まる人がその情報非対称性をなくそうとするときも心理的安全とは言えない状況があるのではないかなと思います。

なぜなら、自分がちょっと表現を誤るだけで大きな混乱やハレーションを引き起こすことがあるからです。本意ではないことがどんどん広がっていき誰も幸せにならないような事態に発展することもあります。特に忙しくなってくるとこのような細部の気配りが難しくなります。

全員とウェットなコミュニケーションをしっかり取れれば理解してもらえる可能性は高くなりますが、現実的にそんな時間はありません。
一方でドライに振り切り過ぎても信頼は得られず、組織の持続性が失われることになると思います。

ではどうするか。

私は本当にウェットな話をできる人を作るのがよいかなと考えています。

異なる価値観の話をしても否定されず、まっとうなフィードバックをもらうことができ、時には自分のインタプリタになってくれる人です。

全員とは難しくても数人とならできると思います。こうしてスタンスのバランスを取りながら、自分の意思伝達のボトルネックを解消しスケーリングをすることができれば現実的な時間で組織の持続性を作ることができると思います。

EMの市場価値

今でこそ各社でEMというロールが置かれ、知見がだいぶオープンになるようになったなあと感じますが、EMの市場価値はどう測ったらよいでしょうか。

EMの成果はあくまで社内の成果なのでそのまま市場で評価できるわけではありません。社内ですら評価が難しいものを採用観点ではどのように捉えるべきでしょうか。

最近EMを志す人には、「今使っている技術は進化に伴い古くなっていくのでアップデートが必要だが、人に関する問題は人が集まるところでは絶対に発生するので、一度経験しておくと時間が経っても活きる経験である」という話をしているのですが、それが市場価値に直結するかはまた別の話だなと思っています。

どういうことかというと、ある会社でうまくいった問題解決が会社が異なっても再現性があるかは正直わかりませんということです。
重要なのは問題解決のプラクティスのパターンではなく、プロセスの柔軟さなのかなと思います。

プロダクトマネジメントとも似ているかもしれませんが、過去の成功体験を元に異なる事業ドメインで同じ施策をやったら外しました、的な話ですね。

これについては自分がどう動くか、という観点で、以下のいずれかの動きができることを説明できると市場価値が高いのではないかと思っています。

一つは、自分が変化し、まわりに適応すること。

Unlearnのスタンスで自分の成功体験を否定し、適応の過程でその場に適した問題解決ができる人ですね。

もう一つは、自分が間違っていないか確認しつつ、まわりを変化させること。

成功の確信度が高い場合は、チェンジエージェントとして周囲を変化させるところまでやりきって問題解決に導くスタイルもありかと思います。

いずれにせよ自分のメンタルのキャパシティとの戦いになるので見極めが必要ですが、このあたりのストーリーを語れる人はどんな環境でも成果を出せる可能性が高く、市場価値が高いのではないかなと思います。

おわりに

EMの話と言いつつ、かなり人に寄った話になりましたが、問題のほとんどは技術の問題ではなく人の問題です。

2020年も組織のエンジニアリングがんばっていきましょう!